部族民通信ホームページ   投稿2025é年4月28日  開設元年6月10日
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レヴィストロース 構造人類学 Anthropologie Structurale 1 序文

 構造人類学
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レヴィストロースは
原資料に英米民族誌家
の報告を多用する。
しかし切り口は英米
人類学者とは異なり、
形体、機能、歴史由来
を無視する。
これが経験主義
機能主義の信奉者の
彼らには気に入
らないのか、結構な
不評を呼んだ。その都度
丁寧に、辛辣に反論
する。
 
 

構造人類学 Anthropologie Structurale の紹介 その1 (GooBlog 20232~4月に連載投稿した原稿を20255月に改訂)

1 本書の概要

人類学者クロード・レヴィストロース著「構造人類学 Anthropologie Structurale」は1958年出版(Plon社、初版冊数8161、投稿子の所有する個体は3242蕃=奥付写真)。それまで発表した宗教、言語、社会など人類学関連の論文を集大成した作品です。他の著作の出版年と比べると悲しき熱帯TristesTropiques1955年、野生の思考La Pensée Sauvage1962年に挟まれての出版となる。この立ち位置は、意味が明確で後述する。目次:一章言語と親族、ニ章社会構造、三章魔術と信仰、以下芸術、教育理念の問題と続く。

本投稿の紹介は1 序文(執筆の目的) 2神話の構造、オイデプス神話とフロイトの考察 3神話が諭す人の生まれの由来(三章) 4社会制度、構造とはなにか 5出来事の由来、事実と空想(二章)を採り上げます。

2 Pouillon氏の指摘 序文 Préface文頭の一文が本作品の有り様を見せる。

« M. Jean Pouillon a écrit une phrase qu’il ne m’en voudra pas, j’espère, de citer en tête du présent ouvrage, car elle répond admirablement à tout ce que j’ai souhaité accomplir dans l’ordre scientifique, en doutant souvent d’y être parvenu »

Jean Pouillon氏は自身が寄稿した一節を、本作品の巻頭に引用するを望まないかもしれない、そうであろうと私は願うのだが。なぜならその一文節(elleune phrase )は私が、学術的基準のなかで、かくあれと望み、そこに行き着いていないと疑いつつ振り返る事情に、見事に応えているから(3頁)。

Pouillon氏のくだん文の引用 « Lévi-Strauss n’est certes ni le premier, ni le seul à souligner le caractère structurel des phénomènes sociaux, mais son originalité est de le prendre au sérieux et d’en tirer imperturbablement toutes les conséquences » レヴィストロースは構造に起因する社会の事象に注目した研究者として初めてでも唯一でもない。彼の特異は構造を真摯に、そしてそこから派生するあらゆる帰結を、混乱を招かずに引き出している点にある(同)。

この一文は本書刊行の前1956 « Les temps modernes » (SartreMerleau-Pontyの共同主宰となる文芸雑誌) に掲載された書評。表題は « L’œuvre de Claude Lévi-Strauss » レヴィストロースの作品の文頭を飾った一節を指します。レヴィストロースは「構造」への取り組みに « sérieux » 真摯さをもってあたるとPouillonが指摘する。社会科の学究の多くが制度、慣習などに「構造」が見えるとは気づいている。自説の傍証に「構造」を用いる例も多い。しかるにその由来、性状、結末、すなわち形而上を語る社会学者はいなかった。ここで「真摯」の意味を採り上げると、見えている構造ではない。その裏、あるいは思想、形而上として構造を考えていると理解する。

構造が「主体」であるとレヴィストロースは知り、Pouillonがそれを看破したから。見える社会、制度などはそこに存在する。多くはそれら物体が主体であると論を進める。例えば歴史神話学派は神話要素とは独自存在、主体で、分布を探れば伝播の歴史が構築できるとした。しかし「目に見えるそれら」をレヴィストロースは語らない。

モノを決定するのはそのモノではない。思想はヒトが頭に持つ表象で、モノと表象の対峙が構造で、そこに本質が宿るとレヴィストロースは(直接には)主張はしないが、この論点は著作に読み取れます。

Pouillonはこの点を指摘しつつレヴィストロースの真摯な手法を語った。

日本では知られていない、しかし戦後の仏論壇で活躍したJean Pouillon19162002年)を紹介する。レヴィストロースの直近 にして構造主義の援護者、L’homme(レヴィストロースが参画している人類学専門誌)編集長を長年(35年)努め « Le cru et le su » など著作も数えられる。アカデミー側にも立ち « Ecole Pratique d’Anthropologie Sociale EPRAS » 実践社会人類学教室(Ecole Pratique des Hautes Etudes実践高等学院の一部門)を立ち上げ、後身の指導に力を入れた。レヴィストロース著作には時折、資料とりまとめなどで彼への感謝の文を見かける。

この写真はサルトル強面の一面が再現されている、ネットでも時折見かける。サルトル正面の右脇に立つPouillon。後方にアンバリッドが見えるから、撮影はアレクサンドル3世橋の欄干脇にて(Henri Cartier-Bresson1955年写、ネット採取)。彼はサルトルと近かったがハンガリー動乱(1956年)を境にしてLes temps modernesから(Merleau-Ponti哲学、知覚の現象学と)歩調を合わせるかに離れた。

なぜレヴィストロースはPouillon献辞に困惑するのか、この辺りに彼一流の修辞を読みます。« elle répond admirablement à tout ce que j’ai souhaité accomplir… » この文はレヴィストロースが本書に臨む心境、構造への真摯な姿勢を見事に表している。この言い表しが読者に纏い付いたら、レヴィストロース観がPouillon判断に固定されてしまう。白紙の立場で読んでくださいの警報を読者に伝えているのかと信じる。

« On y trouvera réunis dix-sept des quelque cent textes écrits depuis bientôt trente ans »

過去30年に渡り発表した百を数える作品を17に分け掲載した。

部族民は商業出版の単行本のみを彼の著作と考えていた。フランス語のみならず米英系も含め、学術誌へ投稿は数多だろう、専門誌投稿の論文に接近はできない。過去30年で100有余、いわば「人類学」の総決算であり決別でもあった。この後の「悲しき熱帯」はレシ(一人称の語り)であり、さらには神話学(生と調理などの4部作)に入り込んだ。神話学では人類学の手法とは異なる素材、方法で取り組んだ。モノと表象の対峙、構造主義へ思索を純化させている(部族民の推理)。

 

3 導入章Introduction

章題はHistoire et Ethnologie歴史と民族学。この章はこれまでの民族学の大家(TylorBoasMalinowskiの名が見える)を紹介し、彼らの分析手法を「俎上」に乗せている。人類学専攻の学徒にあれば関心も高いと感じますが、本投稿では脇に置きます。「構造主義」の思想が浮き上がる文を幾節か;

 « On cherchera donc à découper les cultures en éléments isolables par abstraction, et à établir non plus entre les cultures elles-mêmes, mais en éléments de même type au sein des cultures différentes, ces relations de filiation et de différenciation progressive. » (6). 人(=自分のこと)は文化を「抽象」によって幾つもの要素に分断していく。それぞれの文化単位ではなく、異なる文化を横断して各要素の近縁さと異質さを確立していく。

構造主義の意を含む2箇所;

その1 抽象abstraction、この語が「モノと表象の対峙が構造=前出」に結びつく。人が事象を見てそのままの姿で受け止めず、抽象化なる思考過程を経て,その抽象を頭に形成する(表象)。その表象と眼の前の実際とを対比させる。親族の基本構造(出版は1947年)を例とすれば、親族とは婚姻と親子で結びつく、目に見える集団である。その思想は「財(嫁)の交換」の規則化。規則に沿って女を(時には子を)交換する集団。族民はこの交換を表象にしたため、親族を理解する。

抽象化は人類に共通する思考である。故に時空を超えた文化も同類として水平に扱う。部族民も西洋人も思考回路は同じ。なお文化の水平比較が民族学で、垂直比較を歴史学とレヴィストロースは規定している。

その2 弓矢、頭骨の変形加工などは文化要素である。要素とはモノであり主体である。これらの地理的分布が伝播(歴史)を現す(Tylorの説、本書6頁)。これに対してレヴィストロースは « Rien n’est plus dangereux que cette analogie » これほど危険な類推は無い―と切り捨てる。その危険性は « une hache n’engendre jamais une ache » 斧は斧を産まない。 « mais chacune d’eux d’un système de représentation » 斧それぞれは表象体系から生まれるのであるーで明らかとする。

実体の斧と抽象化された斧の表象、実体の斧が子をもうけるは戯言、思想(斧の表象)が斧を生むと言い切る。ならばそこに見えている斧は斧ではない。人が表象を持たなければ斧とは認識されない。実体と思想の対比構造、これがモノ事の本質、レヴィストロース思考を構造主義たらしめる哲学が浮き出ている。

(余談:ヒトの表象がモノを生む、サルトル実存主義の真逆です。レヴィストロースとサルトルには歴史観を巡って、モノが先か思想が先か、大論争が発生した。1962年)











 
構造人類学
奥付を表紙に重ねている
出版Plon社1958年
発行部数8161
本個体の番号3242
と読める



SartreとJean Pouillon
背景にInvalideが浮かぶ。
AlexandreIII橋
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