部族民通信ホームページ   投稿2023é年10月15日  開設元年6月10日
主宰蕃神(ハカミ)義男        部族民通信  ホームページに   読み物のページに  
          月の呼称、妻問いは月を読む、万葉集に探る色恋  
 
居待ちは18夜の月
 

序文:本稿は月の呼称への2の新規解釈をまとめています。1は「イザヨイ」は月ではなく人がいざよう 2 十六夜(イザヨイ月)から二十夜(更け待ち月)までの月呼称は「妻問い」行動を表す。万葉集から幾首かを引用している。新規とした背景は岩波古文体系、古語辞書などにあたっても上記2点は明瞭にされていない。

日は数え月を読む。

 

♪熟田津に船乗りせむと月待てば潮ひもかないぬ今は漕ぎいでな♪

 

万葉集、額田王の作と伝わる。熟田津は今の愛媛県松山市。斉明帝新羅御親征に大兄王子を伴いに投錨した(661Wikipedia)。月が西に傾いた、おっつけ引きが始まる。澪を睨む船頭の口が開いた「漕ぎ出せ」。船乗りらは櫓を手繰り寄せた。歓声のグーッオは強者共の出立の剣叩き、槍が朝のあかね空を抜いた。船頭は月読で潮の分かれ目を探った。この歌は海の叙事詩である。谷の洛邑に住む者は月に何を語るのか。

月の出、月の明かり山端への差し込みを読む。まずは月の呼称から ;

 

朔(サク、ツイタチ、新月)、二日月(フツカヅキ、繊月センゲツ)、三日月(眉)、上弦(弓張り)、十三夜、小望月、望月(満月ミチツキ)と呼ばれる。いずれも月の形状を伝え月齢を報せる。ここまでは日が落ちても空に月が掛かる。その出は何時かに気を揉むことはない。

満月ミチツキを境にして月の出は日没後、呼称が様変わりする。

満月の翌夜、それ以降 ;

 

十六夜(いざよい)、立ち待ち(17夜)、居待ち(18)、寝待ち(臥し待ち19)、更け待ち(20夜)と続く。人の行動「待つ」を齢に言い換えている。2122夜は伝わらず、23夜以降は下弦、25夜は有明、30夜は晦日(ミソカ)と月の形状に戻る。人の動きと月を結びつける16,17,18,19,20夜のみ呼称は特殊で、形状で示す呼びかたより馴染みも深い。後ろ立ち姿で女の齢や美醜まで推量する視覚則と同一。

 

(十六夜(いざよい)は地平から出る前の「月の思わせぶりな行動」との解釈が一般である。部族民(蕃神)は「出をためらう」月の動作をどうしても想像できない。月にそのような感情はないし、昔の人もそのことなど知っている。「人」がいざようと考える、人の動作と月齢の一貫が見えてくる。

これら呼称を人の動作に擬えると ;

満月から一夜おいての十六夜、日没は1825分、月の出は1933分。(明石市4月、気象庁のサイトから)一時間余の差に隔たる。夕が暮れてもまだ月は見えない。日に見放され地を救う月はまだ出ない。闇が天地を閉ざす。

「今夕は16夜おっつけ出てくる」。待つ人は一刻だけいざよう。いざようその場は軒下、せいぜい庭先。ちょっとの間だから門先にまで行くは、はしたないと笑われそうだ。月よ「早く出ておくれと」軒下で人が「いざよう」。

 

十七夜「立ち待ち月」、月の出は2027分、日没からは2時間、それだけ待ちが辛くなる。

月を待つ人は「今夕こそ待ち頃、それほどに遅く無い」と門脇に立つ。立ちながらしばし、東が明るみ「やっと明かりが差し込んだ、おっつけ来るだろうよ」明かりの希望に人が救われる。

何故、ヒトがこれほど月を待つのか、疑念が読者に湧いているかと。そこで一首 :

 

♪月読みの光に来ませあしひきの山きへなりて

                   遠からなくに♪

(万葉集4670湯原王と伝わる)

拙訳:月を読んで足下明かりが確かになってから来てくださいませ。山を越すとしても夜道も遠くはありませんから。

 

万葉の古代、人は夜には出歩かない。夜に訪問する風習を庶民は持たない。あえて語れば夜の合戦が中世絵巻物に伝わるが、庶民とは別の事情。唯一の例外が「妻問い」。

闇夜に人は野を渡れない。月夜には足元が見えるから通い慣れた道ならば、邑落の目指す一屋に辿り着ける。男も女も月を読み逢瀬の頼りの月明かり待つ。月読みは色恋の習いでした。

♪照る月を闇に見なして泣く涙

           衣濡らしつ干す人なしに♪(同690

拙訳:月が照っている、妻問いには最高の明かりなのに私には人が通わぬ闇の夜。何故って、かのお方はやってこない、涙で濡れた衣を乾かすあの方はもう来ないのよ。

蝋燭灯した提灯が足元を照らせば闇夜も安心、これは正しい。

 

万葉の古代は夜の明かりは蜜蝋である。国内生産はなく唐宋からの輸入頼りで高価であった。皇室付属の主殿寮が管理する舶来物として「燈、燭」などの記載が残る。この燭とは蝋燭だった(Wikipedia仕入れ)。ハゼ木から蝋を採取したと聞くがそれは江戸中期以降、そのハゼ蝋にしても、高価だったと聞く。松明。篝火に適した生松枝を手に入れた処で、松明をめらめら焚いて妻問いをかける無作法者はいません。断られてしまう。高貴諸雑を問わず妻問いは灯りなし、人に知られず月夜に通うが作法です。

 

古事記に妻問い事始めが記述されている。

>美しい乙女活玉依姫(いくたまよりひめ)のもとに夜になるとたいそう麗しい若者が訪ねてきて、二人はたちまちに恋に落ち、どれほども経たないうちに姫は身ごもります。姫の両親は素性のわからない若者を不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。翌朝になると糸は鍵穴を出て、後に残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着きました。これによって若者の正体大物主大神であり<(大神神社HPから転載)

 

それでも月夜は巡る ;

十八夜:居待ち。闇は昨夜よりは長いから立つままは疲れる、門脇から先に出て道端石に腰掛ける。ここで待てば来る人の急ぐ影が真っ先に分かる。

十九夜:寝待ち、臥しても寝ずに待つ。外に出たとて長待ちになるから気が急くだけ、布団にくるまるか。「寝待の月の山の端出ずるほどに男のいでむとする気色あり」(かげろふ日記)この夜の月の出は十一時近く(兵庫県、4月)男が月の出を待ち望んで出立する様をまさに綴ってある、わざわざ「男の」とあるから目的は女、妻問いと決まっている。

二十夜:更け待ち、夜が更けた。待ちくたびれて寝入ってしまい、夜更けにはね起きたけれど、まだ月は出ていない。これが20夜の辛い更け待ち。

 

一方、疑問が湧く、

「月の出は天体現象、前もって今夜は何時にと予測出来る。一夜で一時間ほどのズレ、昨夜の月の出の時間から、今夜の出を類推できる。古代人だって天文現象に気付いているから、日没から幾時間の後とすればどっしり構えて、時を待つ。うろつき、立ち歩きやふて寝、居直りは考えられない」。




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江戸時代までの刻(トキ)の刻み方。
日の出を明け六つ、日の入りを暮れ
六つとして、昼と夜を6分割する。刻の
永さは昼夜で、春分秋分を除いて異
なる。
和時計は精巧の極みであるが、相対
時刻を月に2度補正する機構を持つなど、絶対時刻の時計には不要な機能が
加わるから。庶民は絶対時刻の30分
一時間、そうした感覚を持ってい
なかった(かと思うが)

 

定時法時間に浸かった現代人の感想であろう。

古代から江戸時代まで、日本では不定時法が生活に根ざしていた。夕を暮れ六(ムツ)、明けを暁(あけ)六として、昼夜を六等分していた。春分秋分であれば昼夜は均等。冬は夜の刻(トキ)が長く昼のそれは短い。夏は正反対である。

江戸中期には一日を十二等分(二十四等分)する定時法も併用されていたとも聞くが、天文方など絶対時間を必要とする機関での利用と推察する。そもそも定時法の基準となる時計など日本中、誰も持ち合わせていない、和時計なるは刻(トキ)、すなわち不定時を刻む特殊な時計である。時間を刻と書くこちらが相対時間を表す。

昔の人は刻の長さに見当をつけられるであろうが、それと時間、待ちの絶対時間、の概念はない。計ろうとも計れない。何時に月が出てくるか、夜空の闇の濃淡でその出を読むしか無い。

 
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十六夜から更待月までが妻問いの好機―と前述した。満月前を考えると、三日月は光量が少ないから無理だろうが、上弦の月なら妻問いできるかを考察すると;

行きは月明かりで路も踏める。久々の逢瀬だから用が済んだらさよならは無情。積もる話もあるだろうから、幾刻か居残ると帰りは未明となる。しかし月すでに落ちてしまう。月齢7夜の上弦の入は零時30分ほど。まだきは暗いからって朝帰りでは近在に見つかってしまう。十夜月の入は3時、13夜は4時半、後朝別れは、帰りの道のりもあるから2時、3時。もっと居続けしたい、させたいの未練は残る。欲に絡む情けが色恋、愛が果ててもしがらみが離さない。

満月前は妻問いに適さない。

 

では満月では。日没と同時に月が出る。夕が昼の明るさのまま続く。人々の戸外活動もそれなりに頻繁。うっかり「月の明かりもいい塩梅」と満月の妻問いを敢行しようものなら、物見高い近在に見つかってしまう。一旦の闇にとぎれて人が皆、屋にこもる夕べの端か夜半に出れば、老婆詮索の目から避けられる。

 

♪ぬばたまのその夜の月夜今日までに

        我は忘れず問いなくし思えば♪(702 河内百枝娘子)

拙訳:あなたが来た(問いに訪れた)あの月夜を忘れていません、もうあなたは来ないのですから。

ぬばたまは月の枕詞、この語に煌々とした月を小筆は思い浮かべる。となればイザヨイか立ち待ちの月であろう。月明かりの晴れ晴れしさと、もはや妻問いされない女の寂しさを対比させている。

 

♪夕闇は道たずたずし月まちて行(いで)ませ

我が背子その間にも見む♪(709 豊前国娘子大宅女)

拙訳:夕になった途端はまだ闇ですから道は難儀します。月の出を待って「出でませ」(私、門に出て大事なあなたを)待ちますわ。 

立ち待ちの月か。「その間」は、あのあたりで見えてくるとの意。岩波の文学大系では「帰るのは月が出てからにしてね」と注釈するが、すると「背子殿あなたは昼来て夜帰る」になる。妻問いは夜這いの源流なのでこれはない。行ませを「いでませ」と読めば、月が出てから来てねとの意味合いがついて、妻問いの正統、夜の問いから外れない(岩波の古典体系では「いませ」と読む。すると我が背子は昼来て夜帰る)。

 

♪み空行く月の光にただ一目

相みし人の夢にし見ゆる♪(710 安都扉娘子)

拙訳:読んでの通りの意なので解釈しないが、「月の光」が効いている。妻問いがあったのだ、しかし一回だけだった、その後、幾月幾年、今でもあの月あのお方を思い出しているのよ。「月の光」の意がずばり逢い引きに喩えられている、換喩の修辞。

 

一首、

♪この月のここに至れば今かとも

          妹が出で立ち待ちつつあらむ♪(1078)

拙訳:月があの高さになっているから私が道のり途中だと分かっている、妹(イモ、妻問い相手)は門脇に立って今か今かと待っているだろうな。男は月の出に合わせて出立した。月の登り具合が男の歩みの時間の経過、待ちつつ月の高さも気になる立ち待ちの心境を歌にした感があります。

月の呼称を女の待ち姿に例える風雅、万葉集が伝える妻問いの恋愛景色は今も変わりません。女は今も男を待つ、

 

♪~あぁ~日本の何処かに私を待ってる人がいる~♪(山口百恵歌) 

 

妻問いは月を読む、万葉集に探る色恋 了





 
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