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しかしジャガーの妻(人の女)はボトックに冷たく当たる(古い肉しか与えない、ボトックが嘆くと顔に爪を立てる)。ジャガーは弓矢を与え、妻を殺すようしボトックに向けた。ジャガー妻を殺したボトックは焼き肉を土産に村に戻る。男達に焼き=調理の秘密=を話すと「火を盗もう」とジャガーの巣に遠征する。その場の肉を焼いてたらふく食べて、熾火を盗み揚々として村に帰った。今の世、ジャガーが人に対敵する訳は、人に火と弓矢の秘密を盗まれたためである。
« Il chasse avec ses crocs et mange la viande crue, il a solennellement
renoncé à la viande grillée 以来、ジャガーは牙で獲物を殺し、生肉を食べる。厳粛に、焼く工程を拒絶したのだ。(ジャガーは人狩りと肉を焼いて食べると教えたた。己は自然に戻った)
M1の主旋律であるインコ雛をめぐる近親の諍いがM7以降(ボロロ族以外)も語られる。原因は「年少者(息子、義弟)の不服従」。両者は帰属する支族を異にする。諍いが原因が読み取れる。義弟にしても支族を異にする。第一変奏に続いて二番変奏曲が続きます。従来の「神話学」では違いとは伝播する過程での伝達の錯誤、結果をvariantes=変異として、差異の多寡から歴史、民族的な距離を語っていました。レヴィストロースの手法は神話表現の背後に隠れる「思想」を解明して、表現の変異から思想の振れを比べる処にあります。
M7に代表される5の神話(~M12)が第二変奏曲です。
M7,8は同一民族(Kayapa),M9~M11は2の部族(apinayeとtimbina)ながら近接している。)M12
(sherente) は習俗、制度で異なる民族。
1~7の縦列はsequence=場面です。場面ごとに符号codeを設定し、符号化codageを+-で発展させている(PDF参照)。1ヒーローの行動に積極な反逆の表示か無しか。「巣に雛は見つからない」の偽りは+、親インコの反撃で雛を盗めなかったなど消極は-です。M7では「雛はいない卵だけだ」と子は伝えます。しかし義兄(姉の連れ合い、別支族)は(親インコの行動など)目撃証拠から雛に育っていると知るから「じゃあその卵を投げろ」と命じた。子が投げた卵が飛礫に変化して義兄を傷つけた。「雛はなく卵」は子の偽り、これは明白ですが当神話の採取者(サレジオ会神父)の脚注を尊重して「何らかの事情でそうなった、子に反逆はない」。巣には無いはずの卵を投じてそれが宙で礫に変化したら奇蹟であるけれど、神父がそれと主張するからレヴィストロースは否定できない。
括弧付きの(+)にしています。
2ヒーローの汚れとは、己の屎を喰らう汚れの果ての死が+。鳥に糞をかけられ身はそれにくるまるだけは-。3ジャガー注意とはジャガーが取り残されたヒーローを自ら見つけるか、ヒーローの合図で見つけるかの+―です。(例えばM9-はヒーローがつばを吐いて知らせる) 。
4はジャガーが木に登るか、ヒーローが下りるか。5の無関心とはヒーローはジャガー妻に復讐する。この仕打ちにジャガーはいずれにも無関心だが、妻が殺されても無関心+、傷を負わされても無関心(-)。
6妻の行動は積極的にヒーローいじめ+、消極-。7は火を盗まれたジャガーが人へ敵意を抱くか、無関心か。
これら筋立て(séquence)は前回までのschèmeの「連続と断絶、nature/culture」との繋がりが認められます。+は断絶(その方向を加速する、それを望む踏みだし)と断定できます。基準のM1、ボロロ神話では連続に拘泥していた少年が、遺棄され死んで様変わりして断絶が旺盛となります(父、母を殺す、洪水を起こす)。M7,8はM1と同じく、筋道の中に、例えば義兄(父親)への積極反抗など断絶志向が表現されている。
レヴィストロースの指摘は : 1
kayapa族(M7,8とのボロロとの共通性が顕著、項目で(+)が多い、一方apinaye/timbinaは断絶の否定、無関心(―)で占められる。
2 M12sherenteには内容に一貫性がない、しかしながらヒーローの反社会行動とジャガー妻の仕打ち(爪を立てて殺す仕草をヒーローに見せつける)など際だつ+がある。これは社会制度との関係か(sherenteのみが父系社会)と締める。
M1,2,3が奏でたschèmeは原初社会の混乱と破壊、新たな文化創造です。M7~12についても同様であるけれど楽曲で言うところの「メロディ」に「火の取得に関わる筋」が加わった。そしてジャガー妻の行動の不確かさには、選択を強いられる局面でどちらも取る(複数の変奏)というアンビバレンスが浮きたつ。96頁の表(写真)をもとに妻の行動を説明すると、良き料理の給仕と、悪い料理の押しつけあるいは料理を与えない対峙、
養子(ヒーロー)への気遣いと忌避。肉噛みの音の許容とこれに対する拒絶
が語られる。

この表の解釈は気遣い許容は文化へ傾斜するが、忌避無関心は非文化側の対応と読める。アンビバレントながらも忌避の攻撃の構えに収斂するわけだから、人として描写されるジャガー妻は文化への抵抗を貫く。結局、ヒーローに射たれ死ぬ。文化に向かう道筋の狭間に抗い、自然に滞留しようとする決意をジャガー妻が歌う変奏曲でした(男が文化の創生に汗水垂らし、女がせせら笑って自然に近づく。この拮抗が本書の第二主題です)。
付け足しのM13;「南米神話では鼻グマ狩りエピソードは散見する。その一つとして(パラグアイのガラニ族神話)」を挿入している。語りで狩人は女。しかしながら女狩人は存在するか?このテーマは本題からずれるので別投稿にまとめた。
生と調理(Le
cru et le cuit) 本文2 ジェ語族の変奏曲
(2023年9月30日)
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