部族民通信ホームページ   投稿2023é年10月15日  開設元年6月10日
主宰蕃神(ハカミ)義男        部族民通信  ホームページに 人類学のページに    
人は選ばない、無が人を選ぶ  
 

神話学裸の男L’homme nuフィナーレの最終から

202310月)裸の男フィナーレの最終節は、彼の最終の著作の位置付けなので、即レヴィストロースの最後の渾身の訴えかけとなります。その句は « c’est-à-dire rienthat means nothing »「言ってみればそれは無」 (英語は部族民の付け足し)。虚無も響くこの句を持って神話学の、そして自己の著作活動の最終とした。この意味を考えたい。(その後も著作は刊行されるが、前作の上塗りの感は否めない)。

句が含まれる文はフィナーレの最終部、長文28行に渡る。文節ごとに区切り引用し、最後の最後で彼の終末思想に迫る (本書620~621)

 « En démontrant l'agencement rigoureux des mythes et en leur conférant ainsi l'existence d'objets, mon analyse fait donc ressortir le caractère mythique des objets : l'univers, la nature, l'homme qui au long de milliers de millions, de milliards d'années, n'auront, somme toute, rien fait d’autre qu’à la façon d'un vaste système mythologique, déployer les ressources de leur combinatoire avant de s’involuer et de s’anéantir dans l'évidence de leur caducité »

神話を集め纏めるにあたり、一貫した整理式を採りいれ、神話に必ずまとわる対象物の意味づけを探した。このやり方を通して神話が対象とするモノの性格を引き出した。それは宇宙、自然、そして人である。それらに幾千年、幾百万年、幾十億年が降りかかるとしても、神話語りの慣習がこれほどにも衰退しているなか、それらがすっかり凋落してしまう前、神話の巨大系から各々の神話関連を引き出すには、この進め方でしか可能性はない。

(神話分析の手法、登場人物の性格付け、筋道の符丁合わせ、伝えかけ(スキームschème)の整合などは第一巻生と調理導入部Introductionで数頁を費やしている 。外形と中身を基盤にして新大陸神話は一の南米神話(ボロロ族火の起源)に起源を持つとの主張、幾分か述懐の口ぶりが読める)



 

神話学全4巻の最終
裸の男 L'homme nu
英雄イシスは義父に
木に鷲が巣を作った
上るのに服は邪魔と
騙され裸になった。
ポール・デルボー画
ハムレットが問いかける沙翁が難問。レヴィストロースは無が人を選ぶと答えた 

 « L'opposition fondamentale génératrice de toutes les autres qui foisonnent dans les mythes et dont ces quatre tomes ont dressé l'inventaire, est celle même qu’énonce Hamlet sous la forme d'une encore trop crédule alternative. Car entre les être et non-être, il n'appartient pas à l'homme de choisir »

基本の対立がまず語られる、それをして他すべての対立の萌芽として働く。神話学全4巻がこの対立を目録にまとめている。ハムレットがより分かりやすい二択に強調しているものに繋がるのだ。畢竟、存在と非存在の選択となる、選ぶのは人間ではないと。

 « Un effort mental consubstantiel à son histoire, et qui ne cessera qu'avec son effacement de la scène de l'univers, lui impose d'assumer les deux évidences contradictoires dont le heurt met sa pensée en branle et, pour neutraliser leur opposition, engendre une série illimitée d'autres distinctions binaires qui, sans jamais résoudre cette antinomie première, ne font à des échelles de plus en plus réduites, que la reproduire et la perpétuer :

とある一つの心の努力と歴史、それは宇宙から消し去られるまで続く、努力があい対立する2の事象を引き受けよと歴史に強いる。衝撃で人の来し方の思考は揺れ動き、対立を融和せんがために、限界のない一の2極分離を生み出す。しかし、そもそもの矛盾は解決することなく、縮小された段階の中で矛盾の再生産と永続を試みるだけだ。






 

本書の最終行
C'est-à-dire rien
「すなわち無」
が読めるクリック
 

(上文は直訳、稚拙な訳には惑わせられる。クセジュ文庫化を避けるには、用いられる文言は換喩の連なり、と閃く悟りが必須。閃いたら何を言い換えるかの換喩ヒントは、前引用「宇宙、自然、人」。ここに下線を引こう。文言に当てはめると:一つの心は人の知恵の獲得過程、人類は知恵を獲得しつつ、矛盾する2の事象を取り込み、矛盾を解決すべく努力を続けていた。対立とは人に対する自然。前者は自然を分断、双極で断ち切り制度を確立した。後者は連続と放縦を保つ。両者の相克模様を新大陸神話群が、地域を乗り越え、語っている。対立と相克には衝撃が伴う。「人の来し方の~限界のないまでは」で言い表す中身は、神話が語る文化確立までの「跛行、蛇行、揺り戻し」です)。すると意訳:

人は神話に「自然から文化への人間歴史」託す。連続の自然と分断の文化は相容れない、その矛盾をなだめすかしても、人が文化を取得するまでの工程を、再現し永続させむ(la reproduire et la perpétuer )とする族民の希求を神話が語る。

 « réalité de l'être, que l'homme épreuve au plus profond de lui-même comme seule capable de donner raison et sens à ses gestes quotidiens, à sa vie morale et sentimentale, à ses choix politiques, à son engagement dans le monde social et naturel, à ces entreprises pratiques et à ses conquêtes de scientifiques ; »

存在するモノの現実、人は(存在するから)その存在の最深部でそれが、日日の仕草に、倫理精神と感情生活に、理性と判断を与えていると知る。政治判断も社会活動も自然を尊ぶ気持ちも、存在する現実の最深部で感じ取れるのだ。さらには科学活動も実践活動も、存在するから発現するのだ。

 « mais en même temps, réalité du non- être dont l’intuition accompagne indissolublement l'autre, puisqu'il incombe à l'homme de vivre et lutter, penser et croire, garder surtout courage, sans que jamais le quitte la certitude adverse qu'il n'était pas présent autrefois sur la terre et qu'il ne le sera pas toujours, et qu'avec sa disparition inéluctable de la surface d'une planète elle aussi vouée à la mort, ses labeurs, ses peines, ses joies, ses espoirs et ses œuvres »










 
コレージュ・ド・フランスの
階段教室で裸の男を講義する
レヴィストロース。196811月
 
Le monde a commencé sans homme, il
s'achèvera sans lui宇宙は人無しで始まった。終わる時に人は居ない。この句とrienは対をなす(悲しき熱帯495頁)クリック
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同時に、存在しないモノの現実もある。それは直感の作用を生み、それが相方(存在するモノ)と切り離せない関係を持つ。なぜなら直観から人には生きる、闘争、思考、確信、勇気を保つなどが課せられている。その真逆を仮定すると「存在しないモノなどなかった、今後も現れない」として人を闇に放り出すことはない。その(存在しないモノ)がある一つの星の地表から消えたら、地球(la terre)も死を迎える。労苦、苦痛も喜び、希望も作品もそれらは

(最終に進む前に;冒頭でハムレットを出している。彼の自問は「存在するかしないか」。上の2引用文にそれを擬える(réalité d l’être 存在するモノの現実ouあるいは réalité du non-être存在しないモノの現実) が出現した。ここにも換喩が認められるが、一体何を言い換えているのか。存在するモノの現実は日常の動作、生活、政治選択など。存在しないモノの現実は生き死に、考えて信じるなどと説明している。

« deviendront comme s'ils n'avaient pas existé, nulle conscience n'était plus là pour préserver, fut-ce le souvenir de ses mouvements éphémère sauf, par quelques traits vite effacés du monde au visage désormais impassible, le constat abrogé qu'ils eurent lieu c'est-à-dire rien »

(前引用の労苦、苦痛も喜び、希望も)存在しなかったかになってしまう。そこにはそれらを残そうとする意欲などない。すると残るはただ一時の、様々な動きの思い出にすぎないか。世界の無感動な表情からたちどころに消え去るいくつかの足跡、それらかつての存在の影を残す廃絶証書を除いて。すなわち「何も残っていない」。

(地球の何もない風景が、かつて何かがあった廃絶証書。今の無が過去の有を証明する。有か無を人が選ぶ宇宙は無い。無が人を選ぶ。沙翁の問いかけにレヴィストロースが回答した瞬間です)

Paris, octobre 1968 -- Lignerolles, septembre 1970.

追記:構造主義は「思想とモノ」の対峙を本質とするーこの解釈は部族民通信が幾度かSNS発信している。神話学においてもこの思想は顕在する。神話は3分節(articulation)。語、文、全体の分節構造において思想と実際が対峙する構造を説いた(生と調理の序文、Introduction)。この構造の発展が神話学4部作であって、神話の比較とはschème(伝えかけ、思想)とarmature(形、語り)の両の比較で臨み、伝播ではそれぞれに順列(踏襲)、逆列(反極)の作用が認められるーこれが神話4部作の主張です。

しかしレヴィストロースはこの文節で数段飛び越えの跳躍を披露した。神話世界から人間活動に乗り換えた。人の精神活動の「在る部分」、これが日常の仕草であり、行動、政治活動で、これらは見えている。ある部分の実際 « réalité de l’être » です。ない部分の実際 « réalité du non-être » は「生き死に、考えて信じる」などです。

神話学裸の男L’homme nuフィナーレの最終の了(202310月)

 
   
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