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同時に、存在しないモノの現実もある。それは直感の作用を生み、それが相方(存在するモノ)と切り離せない関係を持つ。なぜなら直観から人には生きる、闘争、思考、確信、勇気を保つなどが課せられている。その真逆を仮定すると「存在しないモノなどなかった、今後も現れない」として人を闇に放り出すことはない。その(存在しないモノ)がある一つの星の地表から消えたら、地球(la terre)も死を迎える。労苦、苦痛も喜び、希望も作品もそれらは…
(最終に進む前に;冒頭でハムレットを出している。彼の自問は「存在するかしないか」。上の2引用文にそれを擬える(réalité d l’être 存在するモノの現実ouあるいは réalité du non-être存在しないモノの現実) が出現した。ここにも換喩が認められるが、一体何を言い換えているのか。存在するモノの現実は日常の動作、生活、政治選択など。存在しないモノの現実は生き死に、考えて信じるなどと説明している。
« deviendront comme s'ils n'avaient pas existé, nulle
conscience n'était plus là pour préserver, fut-ce le souvenir de ses mouvements
éphémère sauf, par quelques traits vite effacés du monde au visage désormais
impassible, le constat abrogé qu'ils eurent lieu c'est-à-dire rien »
(前引用の労苦、苦痛も喜び、希望も)存在しなかったかになってしまう。そこにはそれらを残そうとする意欲などない。すると残るはただ一時の、様々な動きの思い出にすぎないか。世界の無感動な表情からたちどころに消え去るいくつかの足跡、それらかつての存在の影を残す廃絶証書を除いて。すなわち「何も残っていない」。
(地球の何もない風景が、かつて何かがあった廃絶証書。今の無が過去の有を証明する。有か無を人が選ぶ宇宙は無い。無が人を選ぶ。沙翁の問いかけにレヴィストロースが回答した瞬間です)
Paris, octobre 1968 -- Lignerolles, septembre 1970.
追記:構造主義は「思想とモノ」の対峙を本質とするーこの解釈は部族民通信が幾度かSNS発信している。神話学においてもこの思想は顕在する。神話は3分節(articulation)。語、文、全体の分節構造において思想と実際が対峙する構造を説いた(生と調理の序文、Introduction)。この構造の発展が神話学4部作であって、神話の比較とはschème(伝えかけ、思想)とarmature(形、語り)の両の比較で臨み、伝播ではそれぞれに順列(踏襲)、逆列(反極)の作用が認められるーこれが神話4部作の主張です。
しかしレヴィストロースはこの文節で数段飛び越えの跳躍を披露した。神話世界から人間活動に乗り換えた。人の精神活動の「在る部分」、これが日常の仕草であり、行動、政治活動で、これらは見えている。ある部分の実際 « réalité de l’être » です。ない部分の実際 « réalité
du non-être » は「生き死に、考えて信じる」などです。
神話学裸の男L’homme nuフィナーレの最終の了(2023年10月)
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